ミッキーをはじめとするキャラクターやディズニーランドなど、ウォルト・ディズニーが生み出したディズニーの世界は、今なお世界中の人々に愛されています。彼が生み出したディズニーの世界はどのように広がっていったのでしょうか。その歴史を紐解いてみます。
ウォルト・ディズニー(本名ウォルター・イライアス・ディズニー)は1901年12月5日にイリノイ州シカゴで生まれました。兄3人、妹1人の5人兄弟。その後、ミズーリー州マーセリーン近くの農場で自然や動物に囲まれた子供時代を過ごします。幼少のころのウォルトは勉強があまり得意ではなく、そのかわりコメディアンや大統領の物真似をしたり、芝居や漫画を描くことに夢中になっていました。16歳で赤十字に参加し、救急車などを運転する仕事につきますが、彼が運転する救急車には絵や漫画がぎっしりと描いてありました。その後、ウォルトは兄のロイ・ディズニーと叔父から小さなガレージを借り『ディズニー・ブラザーズ・スタジオ』を設立します。すべてはこの小さなガレージから始まりました。
1923
1923年、カリフォルニア州。ウォルト・ディズニーが叔父から小さなガレージを借りました。
1928
1928年11月18日、ミッキーマウスのデビュー作『蒸気船ウイリー』公開。この作品は、偉大なるスーパースターのデビュー作であると同時に、世界初のサウンドアニメーション映画でもありました。
1932
完成間近のモノクロ映画『花と木』の製作中、『テクニカラー』という新技術が開発されたことを知ったウォルトは、その作品をすべてカラーで作り直しました。その結果、『花と木』はウォルトにとって最初のアカデミー賞受賞作品となりました。
1937
短編が主流だった当時のアニメーション界。ウォルトは不可能と言われた世界初の長編アニメーションに挑戦しました。結果は大成功。これがディズニー名作アニメーションの始まりとなりました。
1940
クラシック音楽とアニメーションの融合、今日のステレオサウンドの先駆けとなった立体音響効果『ファンタサウンド』。
この作品はウォルトの斬新なアイデアにより、まったく新しい映像芸術の門を開きました。
1948
失われつつある大自然の野生動物の生態を、記録映画として人々に紹介したい。こうしたウォルトの願いにより制作された『アザラシの島』は人々から圧倒的な支持を受け、その年のアカデミー賞を受賞しました。
1954
素晴らしいパイオニア精神を持つウォルトはテレビの世界でもその才能をいかんなく発揮。ウォルトがスタートさせた番組『ディズニーランド』は、全世界で多くの人々に受け入れられ、ディズニーの世界を家庭に浸透させました。
1955
1955年7月17日、カリフォルニア州に『ディズニーランド』がオープン。ウォルト・ディズニーの夢とスタッフたちの努力によって、夢の世界は現実のものとなりました。
1963
最新のエレクトロニクスとディズニーのアニメーション技術を融合させたオーディオ・アニマトロニクスは、まさに『立体アニメーション』。ディズニーの世界がまた広がりました。
1971
新しい世界『ウォルト・ディズニー・ワールド・リゾート』。パークを離れても現実の世界へ戻ることなく、ディズニーの世界でバケーションを楽しめる‥‥。1966年に他界したウォルトのこの構想はスタッフたちの尽力により1971年10月1日、ついに誕生しました。
